フェスティバル史(test post)

・Vakula来日していた

→ここからSeth TroxlerのEDM批判へ。

→それに対するLaidback Lukeの反論

→Kandiという現象。手製のビーズ細工を身に付け、PLUR精神に基づきそれを交換する。

・元の記事へ。フェスティバルは19世紀のブルジョワたちによる数世代前の作曲家達の再評価から始まった。ただ、その後の流れはディスコもポストディスコもフェスティバルではかけられなかったが、セカンドサマーオブラヴで受容された。

こんなのもある。

→しかし、そのセカンドサマーオブラヴは英国政府による法規制で縮小化。その後はクラブか合法フェスへと転換を遂げる。室内化収容か法に沿うか。

→非常に興味深いのは、94年に英国政府は規制基準に”(b)“music” includes sounds wholly or predominantly characterised by the emission of a succession of repetitive beats.”と音楽面に注目したのに対し、現在の日本の警察当局は踊る側にも基準を置いていること。これは日本のクラブ界による反発がヒップホップ側からであったことに大いに寄与しているはずだ。

オウテカの反抗

→結論としては、有る意味でイニシエーションとして機能している。EDMのエレクトロ・ミュージック・フェスティバルを寡占状態にあるものの、評価している。

→”In a way, this might be part of what some social scientists call “the festivalization of culture,” where the festival model is applied to all sorts of cultural activities—much like the arts festival fad among municipal authorities, presented as a silver bullet for a failing local economy. The idea behind this strategy is that: 1) it drives tourism and consumerism to economically-w/> and adventure, and the liberation of everyday life.” wikiから、Situationistの目指した所。交換や二次的な経験により生活の質が失われている状況から、本当の欲望のためのシチュエーションを構築し、スペクタクルに立ち向かうとのこと。方法は?

心理地理学の方法の一つ、デライヴ。都市を異化する方法。
→これを提唱したのがクチェクロフ。Guy Debordはそれを整理。ギードゥボールと読む、映画も作る。「われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを」というタイトルは良い。
→ギー・ドゥボールの「スペクタクルの社会」はちくま学芸から出ている。
→クチェクロフの”Formulary for a New Urbanism”は全文が読める。

→”The Situationist International reached the apex of its creative output and influence in 1967 and 1968, with the former marking the publication of the two most significant texts of the situationist movement, The Society of the Spectacle by Guy Debord and The Revolution of Everyday Life by Raoul Vaneigem”同上

・滝見憲司のインタビュー

「今若い世代に向けて「批評」というものが極端に少なくなっている。メディアもアーティストの言うことをそのまま載っけてるだけで、ジャーナリスト的な視点が欠落しちゃってる。読み手の側もそれを求めていないっていうのが寂しいですね。」

→評論家の「再誕生」。自らがオリジナルになろうとするあまり、薄氷を踏むような議論に陥る。

・坂本慎太郎のインタビュー

「坂本:ええと…それはコンセプトの話に戻るんですけど。2曲目(「スーパーカルト誕生」)が出来た時に考えたイメージっていうのが、昔の常磐ハワイアンセンターとか、ハトヤ温泉とか、ファミリーランドみたいな遊園地でもいいんですけど、そういう人工的な楽園みたいなものを作ろうと思った人達…その人達はもう死んじゃってるんだけど、その人たちの意志や志みたいなものだけが、まだふわふわとこのへんに漂っているような、そんなイメージなんです。人類が滅亡してもその気持ちや魂だけが残って、誰もいない宇宙に漂っているっていうのが、すごいかっこいいと思ったんですね。もっと具体的にいうと、人類が滅亡した地上で、ハトヤのCMがただ流れている、みたいな。」

「うーん、そこのみかもしれないですね、こだわってるのは。激しくないから毒がないとか、鋭くないとは思わないし、自分の音楽に限らず。社会の仕組みとか法律とか、その枠の中の危険なことじゃなくて、もっと恐ろしいものを表現したいというのがあるんですよね。それはさっき言ったような、時間の流れであったり。死もそうですけど。昔読んだ本ですごく印象に残ってるんですけど、この世界で一番あってはいけない、許されないことは、殺人とかではなく、例えば観葉植物が話しかけてくることだっていうんですよ。法律よりももっとベーシックな世の中の決まり事があるじゃないですか。植物は話しかけてこない、イカは喋らない。その一線を越えてくるのは、あってはならないことだと。」

◎残った柱は

  • Situationist International
  • Free party
  • Psychogeography
  • →ボードレールの逍遥と重なるらしい。